できるかぎり悔いの残らない人生のために

こんなに混迷を極める状況になるとは想定外です。ただ、このまま状況を傍観していても時が過ぎていくだけ。悔いなく人生を終えるために、もう一度人生を整理していくためのブログにしたいと思います。

個人レベルの縦的八段階6

前回は個人レベルの縦的八段階について、以下の通り目標を設定しました。


僕の僕・・・・み言訓読の習慣化
僕  ・・・・
養子 ・・・・
庶子 ・・・・
実子 ・・・・神と喜怒哀楽の方向性が同じ
エバ(母)・・
アダム(父)・
神(王)・・・


僕の僕の目標をみ言訓読の習慣化としましたが、少ししっくりしない感じが・・・。そもそもみ言訓読の習慣化を僕の僕の段階の勝利基準として設定したのは、お父様の路程において、召命から留学時代の原理の解明の期間がこの段階として説明されるからです。


また、その後、摂理の失敗により何度かこの段階を通過しておられます。金百文の失敗による北での再出発の時期や、服中教の失敗後の監獄での拷問、興南から解放された後の釜山での避難生活などです。釜山での避難生活の際に原理原本を執筆されています。


では、しっくりこないのは何かというと、僕の段階に上がって初めて主人の言葉を聞くことができるとも説明されるからです。


ただ、僕の段階は労働によりこの基準を超えていかれたというのが一般的な解釈です。留学時代の港でのアルバイトですね。


正しいかどうかはあまり深く考えずに、僕の僕の段階の歩みを万物を大切にするということに変更したいと思います。自己主管にも通じますからね。


私は個人的に、手段としては清掃をやりたいと思います。昔、日本を美しくする会というイエローハットの会長が始めた清掃にも参加したことがあり、感銘を受けたことがあります。


とりあえず、清掃、家と外と職場、この3つをちょっとでも清掃することを続けるところからチャレンジします。3日、7日、21日、40日と段階を上げて習慣化にチャレンジです。


突然の軌道修正、これからもあり得ます。


とりあえずの計画は以下の通り修正されました。


僕の僕・・・・清掃の習慣化(3日、7日、21日、40日精誠期間を定めて)
僕  ・・・・み言訓読の習慣化(3日、7日、21日、40日精誠期間を定めて)
養子 ・・・・
庶子 ・・・・
実子 ・・・・神と喜怒哀楽の方向性が同じ
エバ(母)・・
アダム(父)・
神(王)・・・

個人レベルの縦的八段階5

個人レベルの縦的八段階の実子段階のゴールとして設定した


1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ
2.霊界と通じている
3.愛によって人を屈服させる人格が備わっている


を達成するための実践として、


1.み言の理解
2.瞑想からのスタート


まで設定しました。最後の「3.愛の人格」については、何度も教育されてきた「為に生きる」実践でしょうね。


ここで、非常にざっくりとですが、個人レベルの縦的八段階のゴールとそのための実践内容が設定されました。


あとは、八段階の勝利基準をもう少し具体的にしておくほうが、実践しやすくなると思いますので、考えてみたいと思います。


まずは「1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ」という目標に対して考えます。


では、スタートである僕の僕の勝利基準はどのように設定したらいいのでしょうか?僕の僕の段階ですから、とにかくみ言の意味が分からなくとも訓読をやるというのはどうでしょう?手段としては蕩減条件の期間を徐々に長くしていくなどが考えられます。


蕩減条件3日からスタートして訓読自体を体にたたきこみます。習慣化できるまではどれくらいの期間必要なのかはやってみないと分かりません。


僕の僕・・・・み言訓読の習慣化
僕  ・・・・
養子 ・・・・
庶子 ・・・・
実子 ・・・・神と喜怒哀楽の方向性が同じ
エバ(母)・・
アダム(父)・
神(王)・・・


以上、「1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ」という目標に対して、上記のように二つの勝利基準を設定しました。

個人レベルの縦的八段階4

個人レベルの縦的八段階の実子段階のゴールとして設定したのは


1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ
2.霊界と通じている
3.愛によって人を屈服させる人格が備わっている


でした。そして、「1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ」を目指すための実践の基本は「み言」の訓読です。


次に、第二の目標である「2.霊界と通じている」という基準を目指すためにはどのようなステップを踏むべきなのでしょうか?


これは努力でできるものなのでしょうか?お父様は「霊界と通じなければ、お父様が霊界に行ってから祝福家庭を訪ねてきたとしても分からないよ」とおっしゃりながら、霊界と通じることの大切さを示しておられました。


霊界と通じるためには祈祷がポイントになる気はします。しかし、信仰初期から祈祷はたくさんしてきたつもりですが、霊界と通じている実感はありません。もう少し、ハードルの低いところから始めるのがよいかもしれません。そこで、ふと思い浮かぶのが瞑想です。


以前に、ソニーで活躍された方の瞑想の本を読んだことがありますが、訓練次第でだんだんと霊的な世界に入っていけるような内容となっていました。瞑想から祈祷へと次元を昇華していくもの一つの手段かもしれません。


7男の亨進様もよく瞑想をされていました。


私も瞑想から始めたいと思います。

個人レベルの縦的八段階3

個人レベルの縦的八段階の実子段階のゴールとして設定した


1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ
2.霊界と通じている
3.愛によって人を屈服させる人格が備わっている


に向けて、僕の僕の段階では何をすべきなのでしょうか?


本来はお父様の路程と照らし合わせながら一つ一つ検討していくべきでしょうが、整理するのに何年もかかってしまう気もするので、とにかくざっと縦横の八段階についてイメージをつくっていくことを最優先したいと思います。


でないと、人生がみ言の実体で終わるのではなく、人生のスケジュールを立てることで終わってしまうからです。


とにかく行動し、小さな失敗を繰り返しながら軌道修正していくということでないと、いい年になってしまっているので、途中で「終了~」のホイッスルが鳴ってしまいます。


まず、「神と喜怒哀楽の方向性が同じ」になるためにはどのようなステップが考えられるでしょうか?



今、神様はどのように感じておらるだろうかと常に問いながら生活するという段階が一つあると思います。


また、私たちが笑うとき、神様も笑うだろうか、私たちが悲しむとき、神様も悲しむだろうかと問いながら生活するという段階もあると思います。


このように問う生活をするためには神様をよりよく知ってないといけませんから、やはりみ言を通して神様を知るという段階が当然あるわけです。


ぼやっとですが、


み言を通して神様を知る → 私たちが喜怒哀楽を感じた時、神様も同じように感じているのか考えられる → 常に、様々な場面で、神様はどう考えるだろうかと考えられる → 神様の喜怒哀楽に沿って行動したいと思えるようになる → 神様と喜怒哀楽の方向性が同じ


というような段階が見えてきます。
まだまだ整理はこれからですが、取り急ぎ、み言の復習により神様という方をもう一度知る努力を始めたいと思います。とにかく実践ありきです。


理想的には訓読会の実施ですが、なさけないことにハードルが高くなってしまっていますので、ここから一歩ずつ再スタートです。

個人レベルの縦的八段階2

個人レベルの縦的八段階のゴールとして「神と喜怒哀楽の方向性が同じ」という基準があるようです。


ここで、もう一度、八段階を確認してみましょう。


1.僕の僕
2.僕
3.養子
4.庶子
5.実子
6.エバ
7.アダム
8.神


この八段階において、「神と喜怒哀楽の方向性が同じ」というのは8番目の神の段階の基準と理解していいのでしょうか?


復帰原理において、庶子から実子に段階を上げるには血統転換が必要とされています。血統転換後、実子として完成することで成長期間を全うした基準に立ち、ここが個人レベルにおいのてゴールではないのか?という疑問は湧かないでしょうか?


実子として完成したのちにある、エバ、アダム、神の段階とは何が違うのでしょうか?


三権復帰のみ言との関係を整理することによって解が見えてきそうな気はしますが、この問題は難しそうですので、後回しにして、とりあえずのゴールを実子としての完成におくこととします。


神の実子として完成した個人は、「神と喜怒哀楽の方向性が同じ」という基準の他の基準を挙げるとすると「霊界と通じている」というものでしょうか。


堕落する前のアダムとエバは神と一問一答し、天使と交流していた訳ですから。


他の基準はなかったでしょうか?そうそう愛の基準でしたね。完成したアダムとエバは天使長を愛で屈服させていたんでしたね。


こんなものでしょうか?


とりあえずここでは、個人レベルで目指すべきゴールを


1.神と喜怒哀楽の方向性が同じ
2.霊界と通じている
3.愛によって人を屈服させる人格が備わっている


とします。後で追加訂正はあり得ますが、とりあえず。


では、とりあえずのゴールであるこの3つの基準を達成するために、段階を踏んで成長をしていかなければなりません。


僕の僕の段階では何をすべきでしょうか?
そして、この段階を勝利したという基準はどこに置いたらいいのでしょうか?